大事に

「さるべき業縁のもよおせば、人はいかなる振る舞いもすべし」っていう、縁次第では、どんなでもしかねない危うい存在なんだと、人間について洞察しているのが法然上人や親鸞聖人であって、そこを忘れて、自分は善人なんだから幸せなんだ、なんて思っていると、これは浄土門から一番ほど遠いあり方なんじゃないかなあと思います。

仏教は、もちろん因も大事にはするんでしょうけれど、どっちかというと、因よりも縁の比重を重く考えてるんじゃないかなあとこの頃思います。
「義なきを義とす」
前の義は、私のはからい。後の義は、如来のはからい。

私のはからいが全部否定されている。それが、他力のすがたであるということです。つまり、他力は、自力心の否定ということです。
自力心の否定とは、善悪に執着する心を否定するということです。

ご存知と思います。「七仏通誡偈」に、
「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」
ここで重点を置くのは、「自浄其意」です。「浄」とは、「調伏」という意味があります。「調伏」は、たたき壊すという意味があります。

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